
体が不自由な子供さん達が通う施設でのお話です。
ある女の子に、『短冊に何をお願いするの?』と尋ねると・・・
その彼女は、『何にも書くことはない・・』そう首を横に振りました。
その女の子は17歳、交通事故で体の自由を奪われ車椅子生活をしています。
普段の生活はもちろん、おしめまでもお母さんに替えてもらう・・・そんな日々を長く続けています。
色とりどりの短冊に皆、思い思いの願いを書いてる中、沈黙の末、彼女が口を開きました。
『何を書いてもいいの?どんなことでも?』
いいのよ・・・。きっと神様が聞き届けてくれるよ。
そう言って、一枚の短冊を渡しました。
そして、願いの書かれたその短冊を受け取り見ると、その短冊には思いもよらない事が書いてありました。
『神様お願いです。もし許されるならば、私をお母さんが亡くなる一日前に死なせて下さい・・・。』
身の回りのお世話、ご飯を食べさせてもらい、おしめを他人に替えてもらう恥ずかしさ、その女の子にとってお母さんだけが頼りなのです。
その短冊を涙を浮かべて読むお母さん・・。
『私も願いを書いてもいいですか?』そう言って、短冊を一枚手に取りました。
お母さんの願った事・・・。
『神様、お願いします。どうか私を娘が亡くなった一日後に行かせて下さい』
テレビで見たのか、本で読んだのか、はっきりと覚えていませんが、すごく印象に残っているお話しでした。
人がこの世に『生』を受ける時。
神様から、自分の運命を聞かされ、その運命に『納得』すると、産声をあげてこの世に誕生する・・・。そんな話を聞いた事があります。
私は、どんな運命の道を歩き、いつその旅の終わりをむかえるこの人生に、合意し誕生したのでしょうか!?
一日一日とその表情を変え、日々成長する我が子。私は、いつまでこの子の成長を傍で感じ、見守ることが出来るのでしょうか?
人の『死』は100%訪れます。
私自身、そのいつか来る『死』は想像はまだ出来ないけど、しょうがない事・・とどうすることも出来ない事に理解はしています。
ただ・・・。そのタイミング・・。
そのタイミングだけは、産まれる前、私が納得したその運命を信じたいと思っています。
私が目を閉じた時、私にはそれ以上の我が子の成長は見えません。
私が目を閉じた時、のっちょとの思い出も、苦労も、その瞬間から共有することが出来ません。
私のかけがいのない瞬間が止るその時は、いつなのでしょうか?
きっと、私が納得した運命です。きっと、私のこの旅は、綺麗な景色がしっかりと見える場所で足を止め、その綺麗な景色を見届け目を閉じるのでしょう。
のっちょ・・・。申し訳ないけど、俺より先にあの世という国に旅立たないで下さい。私は、のっちょがいないと生きていけません。私が先に行ってのっちょが来るまでに、大好きな秋刀魚を買って待っていますので心配しないで。
颯斗・・・。『親より先に行くことは一番の親不孝です!!』お前は、しっかりと生きてください。ずっーと。ずっーと。生きてください。
元気に生きている姿こそ、一番の親孝行なんだから・・・。
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私にも短冊がもらえるなら
「神様お願いです!主人よりも一日だけ長生きさせて下さい」と書くだろなぁ~