
人から愛される為には、まずその為の種を蒔かなくてはなりません。
トマトが食べたいなら、トマトの種を・・
綺麗な花が見たいのなら、綺麗な花の種を蒔かなくてはなりません。
ですから、愛が欲しいのなら、まず愛の種を蒔く必要があるのです。
先日、ボクシングの世界戦で反則をした亀田家の次男坊とその親父が記者会見をしているのをテレビで拝見しました。
私は、世間で言われている程、亀田家がTVに向かって言動するあのパォーマンス嫌いではありませんでした。
しかし・・。
亀田家の蒔いていた種は、確実に芽を出し、みんなの心の中に、しっかりと実となっていたのですね・・。
今回の報道・・。完全に今までの『核』となっていた実を一網打尽に収穫しようとマスコミが・・チマタで騒ぎたてています・・・。
私は、一児の父として、あの会見を見ました。
やっぱり・・あの場でのあの親父の出した答えは違っていたのでは?と感じます。
なぜ、いつもの強気の態度で、次男坊の頭をぶん殴ってでも、『謝らんかい!!』と言えなかったのでしょう。
子は、その未熟さから、外に沢山の種を蒔くのだと思います。
颯斗も、毎日毎日、沢山の人に、私達に種を蒔きます。
子が蒔いた種を大きく伸ばし育てるのも親の愛ですが、間違った方向に切り取り正すのも親の大きな愛だと思います。
親父のあの場面・・
『ダイキはあんな状態だから・・』と報道陣に言った事で、今後さらに謝罪しにくい状況にしてしまったのではないでしょうか?
子が蒔いた種、そしてみんなに実った『怒り』という実を、あの場で親父が取り、違った方向に枝を伸ばしてやる事ができたのでは??
っと。そう・・思ったのは私、一児の父だけでしょうか??
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Unknown
俺も反省坊主だけど
Unknown
俺はタダの坊主。