
妊娠を経験した女性が、涙もろくなるなんて話を聞いた事がありますが、
颯斗の誕生をきっかけに、男性である私がその症状になってしまったようなのです。
私は、出産には立ち会いましたが、あくまでも立ち会いです、出産は無論経験していない私に、前述の話のような変化が起こるのでしょうか?
ここ2ヶ月半で、私は、テレビや映画、日常の様々な場面で涙を流しています。物の見方や、誰かが言った台詞などにやたらとグッときてしまいます。
今日の午後の話。私は配達がある為、会社を出ました。
会社の近くに、稲荷坂という長い坂があります。坂の下にタバコ屋があり、タバコを会社に忘れた私は、そのタバコ屋に立ち寄りました。
その時のことです・・。
坂の下で、1人のおじいさんが、周りをキョロキョロ見回しながら立っていました。
車が通ってない時も、足を一歩出しては引っ込め、オドオドしています。
『何してんだろう・・?』
急ぎで入った注文が車に積まれている私ですが、荷物よりもそのおじいさんの不自然な動きが気になりました。
『タクシーを待っている様子もない。』
人が、おじいさんの横を通るたび、おじいさんは何とも言えない表情でその通りすぎる様を眺め、ため息をついていました。
『このおじいさん・・横断したいんだ・・』
そう思った瞬間、なんだか涙が出てきちゃいました。
足を一歩出し、また引っ込める・・
私、おじいさんの所に駆け寄って一緒に渡りましたよ・・。
1人たたずむおじいさんを見て、私はなぜ涙が出たのか分かりません。
よく小さい頃、商店街とかで、通りにゴザをひいて、野菜や漬け物を売ってるおばあちゃんを見て『なんかかわいそう・・』と幼心に思った時と同じ気持ちでしょうか?(わかりずらいかな??)
そのおじいさんも、手を引く私に、『悪いね・・悪いね・・』と言っていましたが。
悪くなんてないんですよ・・。
『歳をとるのは嫌だね~』と寂しそうに話すおじいさん・・
人が生きていく中で、歳をとってしまうという事は自然の事です。歳をとるということは、体がおとろへ・・。体が不自由になってくるという事ですが、一生懸命に生き抜いてきた人が、人生の終盤になって苦労したり、体が不自由になり日々の生活の中で支障がでる事が、私はどうしても理不尽に思えて仕方がないのです。
歩くのが異常に遅かったそのおじいさん・・
その目には涙を浮かべ、帰り際私に深々と頭を下げてくれました。
私の好意を喜んでくれたのか・・
それとも、自分の体力の衰えが悔しかったのか・・
私も、頭を下げおじいさんを見送りました。
幸い、一人暮らしではないと言っていたおじいさん。
でもなぜか『かわいそうだな』と思ってしまう後ろ姿にまたグッときてしまいました。
人は一生のうち流す『涙』の量というのは決まっていると聞いたことがあります。
又、涙と比例して笑顔の回数も決まっているとか・・。
『涙の数だけ強くられるよ』なんてフレイズの歌がありましたが、涙の種類には様々あり、けして強くなれる涙だけではなくて、『心の汗』だなんていう熱い涙だけでもないのが事実です。
悔し涙もあり、嬉し涙もあり、感動涙もあり、別れ涙もあり、あくび涙もあるのです。
人の生きる中の節目には欠かせない物でもある涙は、私のこの先の人生の中で、後何度、
涙腺のカウントがあるのでしょうか?
颯斗のように、大声をあげてあんなにも感情的に泣くことは少ないと思いますが、できることなら、笑い泣きをするぐらいの楽しい人生を・・・と思っています。
涙腺のバルブが立ち会いをした事でゆるくなってしまった私。
どうせ流す涙なら、楽しい涙がいいですね・・。
そして・・涙の似合う男になりたいなぁ~(笑)
コメント
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うぇ~ん
大ちゃんの、その優しい気持ちに
私は涙がでるよ
そして、そのお爺さんのその場面を思い浮かべると
また涙だよ
前に○代とも話したことあるけど・・・
「死ぬことは怖くないけど・・・老いは怖いね」と・・・
そのお爺さん、4丁目の住人かな?
大ちゃん、ありがとうね
ちなみに煙草屋のバーさんは相当ガメツク
意地悪だぜ
おゆき
『死ぬ事は怖くないけど・・老いは怖い』か・・そのセリフ、母は私にも言っていましたよ大丈夫!!おゆきも母も、老後の面倒は俺が見てあげるから