バスは、被災地をまわり、七ヶ浜ボランティアセンターに向かいました。
ボランティアセンター横の林の中に、いくつものテントが張られていました。
そのテントは、ここに住み込みでボランティアに来られてる方々です。
聞くと、テント生活だけではなく、近くの民宿や、車の中で寝泊りされている方もたくさんいるそうです。
私も、独身だったら・・なんて考えましたが・・。
その方達にも生活があります。
年齢だって、私より上の方も居ます。
ただただ・・頭がさがりました。
そして・・ここで1つ。私の勘違いがありました。
それは、それを見てわかった『個人のボランティアの受け入れ』の事。
私は、今まで、計画的な復興を目指す被災地において、『個人での勝手な活動がダメ』なのを、『個人での参加はダメ』ととらえていたんです。
実際、個人での参加はどんどん受け入れています。
あくまでも、昨日私が行った七ヶ浜のセンターですが、それがわかりました。
しかし、計画的に復興を行っている事は事実ですので、事前に七ヶ浜町復興支援ボランティアセンターに連絡をして、当日、8時45分の受付をしてください。
私が活動を行った4日の水曜日も、20名くらい個人で来られている方がいらっしゃいました。
次回は、私も自分の車で1人で行きます。
七ヶ浜ボランティアセンター横が、サッカー場になっていて、そのサッカー場の施設にあるシャワー室も、時間は決められていますが使用できるし・・いや、近くに湯にも浸かれる銭湯もあります。
食べ物を買うスーパーもあるし、車を止めさせてもらえる場所もある!!
これからの季節なら、充分車内も温かいので、車泊ができますから。
今回のような団体もいいのですが、トイレに行きたくなくてもSAでのトイレ休憩があるし、なにせ、出発日とかの関係がありますから・・団体では行く日も限られちゃいますしね。
でも、自分1人なら、都合がついた時に行けますので、次は1人で泊まりで来よう!そう決意をしました。
ただ・・今回、『この被災地へのボランティア募集が出て、行こう!!』と決意をしてから、色んな物が見えました。
それは、金銭的な事もそう。周りからの声もそう。
『自分の志(気持ち)だけでは行けない事』がよくわかりました。
金銭的なことに関しては、お金に対しての価値観も違いますし、被災地にどのような形で行くのかにもよって、旅費や交通費などが変動しますから、一丸にはいえませんが・・
ただ言えるのは0円じゃないこと。
数万円の費用はかかるという事です。(最低限の装備(作業着・ゴーグル・マスク・安全靴・手袋・帽子など)が意外と掛かりました)
だから、『気持ちだけ持ってきてください。体一つで来て下さい。』みたいな感じでしたが、そうではないんですね。。
そして、今回1番考えさせられたのは、『周囲からの声』です。
驚く事に、約8割が『私が行く事に対して反対をしてくる声でした』。
反対=心配してくださるということは、それだけ想って頂いていることですから、有難いことではありますが、周りの声は、ほとんどが反対派。これには本当にびっくりしました。
このボランティアに関しての考え方は人それぞれでいいと思います。
支援の形は、これだけではありませんから。
そして、もう家庭を持っていますので、自分の意見だけではダメと言うこともわかっています。
今まで言われたこと、いや、言っていただいた事は正論です。
『小さい子供がいるのに・・』『何も、まだ余震がある場所に行かなくても・・』『ボランティアの経験も無い人が行っても意味がない・・』。
みんなが心配してくれる気持ちはありがたいですが、私は、自分の中で芽生えた『この気持ち』を大切にしたいと思います。
親としても男としても、一生に一度の人生ですから、自分が住む国の大災害にたいして正直、このままテレビを観て、大変だね~と言っているだけの自分が『嫌ですし恥ずかしいです』。
でも、8割の人が反対をしている現実を見ると、これは私の意見がおかしいのでしょう。
もうそれは、認めるしかありません・・。
ただ・・その2割の人まで、何も行動をおこさなくなってしまったら、それこそ見てみぬふりで何も終わらないし、なにも始まらないです。
よく、親が子供に求めるものとして・・『人には優しくしろ』『人を想いやれる人になれ』そんな事を、親が子に求め教育をしています。
実際私だって、颯斗や璃心にそういう人になってもらいたいです!そして私も、少なからずそうなりたい。
・・しかし、『それ』を親が子供に説くのであれば、自分に芽生えた『少しでも誰かの為になるなら』という気持ちを、私は、『思う』だけではなく行動しなきゃいけないと思います。
私は、1年我慢しました。
何も出来ない口だけの男で居る事に、本当に嫌気がさしていました。
幸い、のっちょは良き理解者です。
周りからいくらどう言われようが、私の活動にたいして、これまで金銭的な事も含め何も言わずに、私の思うようにやらせてくれました。
すいません、少し熱くなりすぎましたが・・
でも、私は、正直周りの声なんかどうでもいいんです。
まっ、どうでもいいというのは語弊でが、これは私の人生ですからね。
のっちょが認めてくれたらそれだけでいいと思っています。
現地で、単身富山から来られた3児の父ともお話をしました。
会社に休みをもらって来た!と言っていました。
『震災があった時からずっと力になりたいと思っていた!』という思いに意気投合しましたが、40歳の彼もまた、周囲の反対を押し切ってきたけど、妻だけは認めてくれたから、心に少しの曇りもない!と言っていました。
別に、ボランティアをしたからどうこうじゃなくて・・
やっぱり、今の自分の気持ちを尊重したい!動こう!と思ったから動いているだけなんです。
きれいごと抜きに・・私は、『自分の人生だもん・・』
『行動に移さなかった後悔』はしたくない・・本当にそれだけです。
今回は、これからボランティアを志している人に対してだとか・・今の被災地の現状とか、まさに、この瞬間の今の私の気持ちを残す事とか、まぁ~色んな思いがあり、このブログに被災地のボランティアの事をできるだけ細かく書いていますが、次回からは、私は特に、周りには行く事は言いませんし、このブログにも書きません。
もともと、ボランティアに行く事を周りに言った所で意味が無いし、今回の反対派が多いという事実・・
実は、その結果こそが今の世の中だと思うとなんか寂しくなるし、もう『行くぞ!』と心が決っていることに対して、マイナスの意見など聞いても士気が下がるだけですから・・
そして、『考え方』。
人それぞれの考え方があると理解しているからこそ、私はその方がいいと思うのです。
さて、なんかどんどん長くなっちゃっていますが。。
・・・・朝の8時45分ボランティアの受付をします。
受付を済ませた後に、朝の9時すぎから打ち合わせ・顔合わせ・マッチングが始まります。
その場には、今日活動する方が全員集合します。
ボランティアセンターでは、私達のようなボランティアが来て、現地で効率よく活動出来るように、管理をしてくれています。(その意味でも、事前にセンターに電話をして、いつ活動をしたいかの連絡と、8時45分からの当日参加する受付を行います。それをしっかり行えば、個人でのボランティア活動ができます。)
今回、私がいた団体は人数が多かったため、仕事は決っていましたが・・
他の方にかんしては、あと4つ程仕事がありました。
仕事は、センター側の一方的な取り決めではなく、『このような仕事がありますが、経験者の方はいますか?また、やってみたい!やりたい方はいますか~』と挙手を求め、仕事を振り分けています。
だから、女性1人で来ても、体力に自信が無くても、室内作業など、出来る仕事があります。
もちろんその日によって求められる仕事、用意されている仕事は違うのでしょうが、もっと事務的に、また流れ作業的に、私達の意見関係なく仕事を割り振るのかと思いましたが、本当にボランティアに来た私達に対して感謝をしてくれ、また、満足に活動ができるようにという配慮がなされています。
この日は、横浜も通過したあの春の嵐が、東北地方に来ていましたので、風と雪が吹雪いていましたが、私達の団体は、流されてしまったお宅のスペースに生えた雑草の除草と、土に埋まった瓦礫を掘り起こして、その瓦礫などの撤去という仕事でした。
場所によってだと思いますが、今回活動した集落は、すべて津波で流されてしまいました。
その流された集落には、植林をするそうです。
しかし、表面に見えてる瓦礫の撤去は終わっていても、層になってる土の下には、瓦礫や思い出の品などが、まだ埋まっている状態です。
木を植えるには、その土の中に埋まっている瓦礫の撤去などが必要です。
また、海水を含んだ土では植物が育たないため、土の入れ替えなどが必要らしいですが、今のままだと、目に見えない埋まっている瓦礫があまりにも多く、重機も入って来れないので、すべてが手作業となります。
しかし、集落といっても、、
テレビで見る景色同様、いや、テレビではその画面越しだけですが、自分のまわり・・体を1周させて 360度見渡しても、本当に何もありません。
あるのは、不自然に曲がり折れた電柱。
地割れがひどく、通る事もできない道路。
そして、均等に並ぶ、家のコンクリート基礎だけです。
それが、集落だったんだなぁと判断できるだけです。
その家の基礎が残る所が、すべて雑草が生え、まだ瓦礫などが土に埋もれた状態でそのまま残っています。枯葉が一面生い茂り、パッと見は、自然の空き地?みたいに錯覚しますが・・、ふっと下を見ながら歩くと、コップお皿、葉書や筆箱、バックや靴といった生活用品が、もう~すごい量で散乱しているので、それが自然の草原でないと・・現実に引き戻されます。
私達が作業させていただく事になったお宅に立ち、前を見ると、もう本当にすぐ目の前。数メートル先が海です、壊れた防波堤の間から、『今は』穏やかな波もはっきり見えます。
ここまで波が来たという波の後が、崖に残っていましたが、私のはるか頭の上です。
こんな近い、もうすぐ目の前のこの海から、あの恐ろしい波が向かってきたのか・・。
実際の海を見ながらそう考えると、恐くなりました。
また、私の今作業させていただいている頭の上を、沢山の大切なものがたくさんたくさん流されていったのか・・
手を休めると色んな事を考えてしまうので、ただ黙々と作業を行いました。
つづく
次で私の体験・感じたことの更新が最後になります

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