親族の死というものは、やっぱり辛いです・・。
『覚悟していた』なんて言葉で自分を慰めても、やはり辛いです。
お腹の我が子が日々成長して1つの命を心から祝福し、そして死という別れを心から見送り、今までにないくらい生と死について考えさせられるこの1年でした。
先日、飲み会の席で、1人がふと私に尋ねてきました。
『生きる意味ってなんだろう?』 『なんで頑張ってんの?』
私はこの問いかけに対し、こいつに返す答えが見つかりませんでした。
『なぜ生きるのか?』
『なぜ頑張るのか?』
今まで困難や悩み『壁』と言われる物に追い詰められた時、私は何度か、同じことを考えたことがあります。
ただ、答えなどでず、知らぬ間に時間が流れ悩みも時間と共にいつもなんとなく解決していて・・。
もちろん生きている意味など見つからず暮らしていました。
人によって、自分の生きる意味。自分の人生の支えになっているものは違うと思います。
私は今こうして、結婚し、親になり、自分の生きる意味、生きる場所を手に入れたと実感しています。
私と違ってどうしてもやりたい夢がある人や、家族ではない所で必要とされていると強く感じる人は、それが生きる意味なのだと思いますが。
産み落とされ、『今』を生きている中で、なかなか前者のような環境で、生きている意味を見出せる人は少ないのではないでしょうか?
生きる意味など、見つからないうちはそれでいいのだと思います。いくら答えを探そうとも、それは見つけるものではなくて感じるものだと思うから、、
親になり、自分の親が、私が元気に生きていること自体に意味があるのだと言うことも分かり、1つ私の生きる意味ですし、我が子の成長を見守り、のっちょと生きていく事も私の生きる意味だと思います。
先日、のっちょのおばあちゃんの葬儀に行き、おばあちゃんの見送りに沢山の方が足を運んでくれていました。
沢山の人の涙が、おばあちゃんの生きた意味を物語っていました。
おばあちゃんは生前、生きる意味を説いたのかは分かりませんが、沢山の涙のお別れは、おばあちゃんの一生懸命生きた意味だと思いました。
私は、結婚して親になり、自分の生きる意味、生きる場所を手に入れた様に思います
しかし、私が生きていることで生きる意味を見出している親や、必要としてくれている人達がいたことには気づかず、見つからない意味を探していました。
我が子に物心が付いたとき、私は我が子に、お前の命は誰よりも意味があると伝えたいと思います。
最後に、おばあちゃんお疲れ様でした。ゆっくり眠ってください。
コメント
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深いねぇ・・・
話の内容が随分深いな。
親族の不幸じゃ仕方ないか・・・。
『生きる』意味か。
俺達自身が『人』の親になって、初めて『期待』や『希望』を抱く。
俺達も、そんな思いと命の砂時計を託された。
俺の考え方、とらえ方としてはさ、確かに大助の言う通り、親に産んでもらって、今こうして元気にやってる事が、親から見る『俺達が生きる』意味だと思うよ。
でも、それは親が感じる事であって、俺達自身が自分自身に感じる『生きる』意味って、無いわけないのに本人が一番気付いてないんじゃないかな。
逆に言えば、『死ぬ』って何だ?『生きる意味』が見付からなければ『死ぬ』のか・・・?
人ってさ、生きているだけで意味があるのに、生きている事が幸せであるのに、格好つけて『生きる意味』を疑問に感じるフリする人が多い。
フリだよ、フリ。
俺から言わせば。
そんな疑問だって、生きてなきゃ抱けないじゃん。本当に分からなければ、分かるまで生きて探せばいい。それだって立派な『生きる意味』じゃないかな。
『天は二物を与えない』
逆に言えば、必ず一つは与えられる。
自分にしかできない事が必ずある。だから、自分を必要とする人が必ずいる。
人の為に生きるわけじゃないけど、ただ生きてるだけで、ソコに『意味』があるんじゃないかと、俺は思うね。
飲み会の席で、そんな質問に答えられなくて正解だよ、大助。
その話の問題は、他人との『生きる意味』の違いよりも、『生きる事の価値観』が違ってると思うよ。
真剣に向き合う事ないさ。
俺なんて・・・
ウンコ踏んだ靴で、モンチッチの配達だぜ?
たまんねーよ。
そういえば、まだ連絡くれないね、大助。
ちゃお☆