
“人生っていうのは、人と人の出会い。
一生の間にどんな人と出会えるかで、人生は決まるんじゃないですか。”
高倉健
大好きな高倉健さんがお亡くなりになりました・・
本当に悲しいです。
私は、高校生の時から任侠映画が好きで、よく借りてきては観ておりました。
鶴田浩二さんや菅原文太さん、田中邦衛さんや、松方弘樹さん、千葉真一さんも大好きですが、特に高倉健さんは、その存在感の次元が違うのが、ガキながらにもわかって、いつもその姿に魅了されておりました。
健さんが演じる、任侠物はもちろん大好きですが、他にも、侠客役じゃなくても、駅やホタル、鉄道員でも本当に渋くて、『かっこいい漢』として、憧れを抱いて観ていました。
健さんが大事にしている、『人との出会、縁』というエピソードも、時折、ビートたけしさんや、志村けんさん、小林稔侍さんなどがテレビで話すのを聞いて、本当に漢だなぁと鳥肌を立てていたものです。
出演映画205本。
その映画のロケ地となった土地で知り合った一般の人達との『縁』も、1つ1つ大事にしていて、ことある毎に『高倉健』の名前でお線香や手紙といった粋な交流をずっと続けていていました。
あまりにもその交流が多いいため、関係者の方たちも、把握できていないほどだったらしく、事務所を通して~とか、代理の人が手配した~という形だけの付き合いではなく、1人の人として、本当に多くの方との縁をずっと大事にされていたそうです。
ただ、その反面、初対面の人とは自分からは会わないそうです。
読んだ本の中に、『1年で3人』と書かれていました。なにが3人か?それが、1年間のうち初対面で会った人の数だそうです。
縁を大事にする分、一方的に会いたいと思っても、会えない人だったそうです。
また、高倉健さんは、渡哲也さんの本の中で、このような事を言っていました。
『自分には、女房、子供もいません。男として生きる事の責任がまず1番基本の所で外れていますから、勝手気ままな生き方をしてます。
その為、冠婚葬祭にもほとんど出た事ありません。仕事もやりたくないと感じたら、どんなにお金を積まれても引き受けません。また会いたくないと思ったら、誰が何を言おうと会う事もしません。』と、あります。
健さんは、プラーベートを一切語りません。
「『映画俳優』がプライベートを見せたら、スクリーンの私のイメージが壊れてしましますから。」という徹底したプロ規律からだそうです。
そして、今回も・・
親しい人にも病床の姿を見せたくないから・・と。
入院したことも、明かさず・・
そっとお亡くなりになり、密葬。初七日を過ぎてからの公表。
そして、遺言で公表後の供花、供物は丁重に一切辞退するとしています。
『最後まで漢らしい・・映画俳優高倉健』を貫きました。
色んなエピソードを聞いていると、『昭和の漢』。
そして本当にかっこいい生き様だと思いますが、、
実際は『いやもしかしたら』寂しかったんじゃないかな?
と心配もしてしまいました。
健さんは、マネージャーも付けず、すべて自分でスケジュールなどを管理されていたそうですが、誰に頼るわけでもなく、いつも『高倉健』でいなきゃいけなかった人生って、寂しくなかったのかな??と思ってしまいました。
そんな寂しさも見せない・感じさせないのが『漢』なのはわかりますが・・
『漢で死にたい』という事を、本当に貫き通すことは、やはり並大抵な事ではないな、と思いました。
私は、健さんのように漢として生きたいですが、実際は器の小さな弱輩者で、足元にも及びません。
高倉健さんのように・・と口にするのも恥ずかしいですから・・
だからせめて・・
『人との御縁を大切に』
『礼儀よく』
という健さんが大事にしていた肝を、自分の中にも響かせて生きていきたいと思いました。
芸能界という異色世界の中の頂点を極めている、多くの大物有名人から慕われ、影響力を与えた、『本物の漢』の姿をもっと観ていたかったです。
将来・・颯斗も快斗も酒が飲めるようになったら、「唐獅子牡丹」・「網走番外地」シリーズや「山口組三代目」、「海峡」、「幸せの黄色いハンカチ」「冬の華」、「駅」、「ホタル」など、日本酒飲みながら、正月に、正月三が日を使って、ずっと観ていたいですね。 のっちょに怒られるだろうけど、コタツから1歩も出ずに、飲みながら、3人で観たいです(笑)
健さんの事務所からの公表FAXの中に『生ききった安らかな笑顔でございました』とありました。
「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」
そんな最後を迎えられた事・・やっぱり本物の漢ですね!!
健さん、ありがとうございました。
あ~寂しい。
合掌

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